ワインのすすめ 三吉研一

『萌』第12号(1995年3月四日市南高等学校生徒会発行)より転載
 パリに着いたら市内観光は適当に済ませてブルゴーニュへ向かおう。何しろパリの宿は高いから。 TGVでかつてのブルゴーニュ公国の首都ディジョンまで2時間もかからない。車を走らせても3時間もあれば十分だ。 ディジョンをゆっくり観光し、マスタードを買い込んだら、未練は残るがボーヌまで足をのばして 宿をとろう。人口二万人ほどの古い町ボーヌは、その中心部を城壁で囲まれていて歩いて半日もあれば 隅々まで見て廻れる。歩き回るのは明日にして、宿に落ちつき夕食だ。 ホテル「ル・セップ」のレストラン 「ベルナール・モリヨン」でワインをたのむ。白はムルソーの一級、赤はコストパフォーマンスの サビニーレボーヌにする。正装して食事をしている客達のひとりひとりに、にこやかに語りかけながら、 ようやく私たちのテーブルにたどりついたマダムは、その大きな身体をゆすりながらワインをサービスし始めた。 注文を取りに来たときと変わらぬ多少厚化粧のまんまるい顔、大きな目にはいっぱいの笑みを浮かべている。 人なっつこく温かみがある。決して上品ではなく目いっぱい着飾っているが、クリーニングが行き届いた清潔さを感じさせる いでたちのこのマダムからは、しかしどこか毅然とした様が感じられ、それがこの店の品格の元になっている。 この田舎のレストランは、東京の洗練されているがどこか白々しい感じ、パリの洗練されていてかつ奥ゆかしい温かさ、 とはまったっくちがう、温かく素朴で、多少ダサイが、ゆるぎない自信で「正餐」を演出する格式をもっていた。 実は私たちもブレザーにノーネクタイでいったん部屋から降りてきたのだが、ロビーからベルナールモリヨンを覗き、 急きょスーツに着替えてきたのだ。夕食時八時頃になるとこれまでと打って変わってテンションが高まり、 別世界を作り上げてしまうのは、ここに集まった客達とマダムの品格との相互作用の結果なのだろう。 客達の何人かは、ここでの夕食のひとときのためにパリからルノーサフランを駆ってとんできたに違いない。
 ところでホテルの名のセップとは葡萄の株のことと知らされたが、ワインの葡萄品種のことをセパージュというではないか。 ムルソーのセパージュはもちろんシャルドネ百%、サビニーは当然ピノノワール百%、このブルゴーニュの地を代表するセパージュである。
 翌日はワイン産地巡りだ。ボーヌよりいったん北へ(ディジョンの方へ)もどり、黄金の丘(コート・ドール)といわれているワイン産地を 北から南へと訪ねよう。特級畑街道(ルト・デ・グラン・クリュ)は、まったくの田舎道で、 数百人から多くても数千人の人口の村々を結んでいる。最初のマルサネ村は何とか村だが、 フィサン村、ブロション村と進むにつれ、集落といった風で、車で一分もたたずに通り過ぎてしまう。 すると道の両側は一面の葡萄畑、そして前方にはかすかに次の集落がみえている、 これの繰り返しである。全く人とすれ違わないが村人はどこにいるのだろう。 まもなく特級畑を有する最初の村、ジュヴレーシャンベルタン村である。 かのナポレオンが必ず戦場まで持っていった特級ル・シャンベルタンを産する村だ。 特級畑を所有する数多くの生産者(ドメーヌ)の中でもとびきり優れていて有名な数件はたぶん門前払いをされそうなので 優れているが小さ目のドメーヌをターゲットにしよう。ここで役に立つのが我々の運転手君ムッシュ・アンドレだ。 パリからの高速道路では時速百八十キロの安全運転でルノーエスパスを転がしてくれた。 電話でのアポは彼に任せることにする。といっても公衆電話など見あたらない。 まずは昼食。有名なレストランがこんな村にも二軒もある。 特級畑街道沿いのロテスリー・ド・シャンベルタン、ドメーヌの経営で自分の産するワインしかおいてない。 もちろん多くの畑を所有し、ジュヴレーシャンベルタン村以外のコート・ドールのワインも豊富に揃ってはいるが、 余り期待せずにはいる。しかしワイン貯蔵用の地下室を改造したレストランに入って驚いた。 とてもシックでいい感じ、回りの葡萄畑や長閑な集落とのなんたる落差。 更に適当にたのんだ白のアリゴテの深みのある味わい、特級畑産ではないただのジュヴレーシャンベルタンという村名を名乗る 赤ワインのまた想像を絶する味わい。電話を終えて席についたパリジャン、アンドレ君も満足の表情。 自慢のフルコースを手軽に楽しめるムニュデギュスタシオンを、夕食のための胃袋のキャパと相談してあきらめて、 この地の田舎料理コック・オ・ヴァン一品で済ませることにする。 ひね鶏を地のワインで煮込んだだけのシンプルなものだが、ほとんど黒に近いまで煮詰まったジュヴレーシャンベルタンが、 強烈なアロマとブケを発している。ピノノワール種に特徴的な、黒サクランボ、フランボアーズ、バラといった果実と 赤い花の香が私たちをノックアウトしてくれる。デザートを終えた胃袋は満足の極みである。 料理もワインも地元ではこんなに生きているのかと、日本で高い買い物をしている身を恨むことになる。 急いで食べたつもりでもかれこれ二時間近くもここにいる。時間感覚もブルゴーニュになってきた。 アンドレ君によるとアポをとった新進気鋭のドメーヌ、アルマンルソーは、 床屋へいっているので三時間半したらこいという。まだあと一時間半、 南の村を先に訪ねよう。モレサンドニ村、シャンボルミュジニー村、正に特級ワインのオンパレード、 そしてひときわ有名なヴージョ村。ヴージョ村の特級畑クロ・ヴージョはなんと五十ヘクタールもあり、 七十人もの生産者が分割所有している。畑の周りは低い石垣で囲まれているがドメーヌの区切りは 全く分からない。なだらかな斜面の下の方はもはやほとんど平地でここで生産したクロ・ヴージョは やはりその名ほどには立派なものにならぬに違いない。斜面の上の方の上等な畑の一角に シャトー・デュ・クロ・ド・ヴージョが建っている。ここでようやく観光客を見ることになる。 「ブルゴーニュ魅惑のワイン巡り」てなオプショナルツアーに参加すると、ここは必ず訪れる。 展示してあるワイン作りの古い道具を見ながらこの館を一周し、VTRなど見せてもらって ふと厨房を覗くと数人の人がせわしなく働いている。聞くと来週この館で行われる結婚式の下準備だという。 記念館も住民の生活の一部として使われているのだ。
 ようやくドメーヌ・アルマンルソー にやってきた。ネゴシアンという仲買人のような会社が、畑の所有者からできたてのワインを買い取って 熟成させそのネゴシアン名で出荷するのが今までのブルゴーニュのやり方。 それに対してはじめてドメーヌ(生産者・所有者)元詰めを開始した意欲的な生産者の一人が このアルマンルソーの先代である。今は息子のシャルルルソーが受け継いでいる。 このルソーおじさん、ジーパンにセーター姿で現れた。住まいの向かいに納屋があり、 農作業の道具と共に三輪車や子供用の自転車なんかが置いてある。 その脇の階段を降りると大きな樽が幾つも積み重ねてある薄暗い部屋。 この樽には発酵したての去年産のワインが詰まっている。さらに真っ暗な狭い階段を降りると大きな地下室にでる。 四列になってずらっと並んでいる樽の中でワインが熟成している。石の天井や壁には一センチほどの厚みに黴が生えている。 湿度を保ってくれる自慢のワイン黴らしい。ガチャガチャとやかましい瓶の音。 部屋の中程でシャルルの息子がもう一人の従業員と瓶詰め作業中だった。格の低いワインから瓶詰めし、 それも今日で終了し明日からはここに横たわっている一年間樽で熟成させた一級畑、特級畑ワインの瓶詰めにかかるという。 ラッキーだ。お目当ての特級ワインを樽から飲める。畑のこと、葡萄のこと、醸造のことをフランス訛の英語でのべつまくなし説明しながら、 ルソーおじさんは樽からピペットでワインを取り出しては、国際規格のテスティンググラスに注いでくれる。 透明な輝くルビー色の液体から果実香がたちのぼる。グラスの足を持ってぐるりとまわしてやると更に強烈なアロマを発した。 華やかな苺、さくらんぼ、カシスまた煮つめたジャムや薬っぽい香。瓶での熟成前なのにこんなに美しいとは。 口に含む。乳酸とエステル成分が甘味を伝えてくる。すばらしい。 想像していたできたてのワインの渋さ、堅さ、苦さは全くない。飲めるのだ!生き生きした香と奥の深い味わいの陶酔から我に返ると ようやく歯の周りにシュワシュワとした感覚がある。若いワインの、強いタンニンだ。 グラスが三分の一になる頃にはワインはその香を変える。果実香がしだいに牛乳ぽい香を含むようになりそして今、 なめし革の香がしてきた。兎のわき腹と呼ばれる獣の香だ。 キノコの香と湿った土の香もする。正に香のシンフォニー。なんと厚みのあるブケだろう。 さらに飲み干したグラスからは再びさくらんぼやフランボアーズの甘い香が立ち昇る。 一級畑の樽から順に上等の畑の樽へと試飲は続く。畑ごとに異なる微妙な味わい。 その特徴を語るルソーおじさんの自信に満ちた目。「どうだいあんた」といわんばかりに乗り出して見つめてくる顔には、 しかしこちらの判断を知りたいという謙虚さがにじみでている。十数番目の樽の前へ来た頃には足元が少しふらつくが、 地下室の寒さで頭はさえている。クロサンジャック、リュショット、シャルム、マジ、クロドベーズ、 最後が最も偉大なル・シャンベルタン。ところでルソーおじさんは、特級のリュショット畑の中の更に 細かい区分のリュショットシャンベルタン・クロ・デ・リュショットという彼一人の単独所有畑 (モノポール)を持っていた。その味わいは繊細さの中にひときわ力強さがありアロマ、ブケも極上だった。 迷わず帰りにはこれを買い込むことに決める。訛った英語を使いながら、二時間に及ぶ試飲で飛び込みの我々を歓迎してくれたルソーおじさん。 申し訳ないからとワインを買うことにするのだが、実は売らないと言われても全員買うつもり。 ルソーおじさん、紙切れに値段を書きながら日本の輸入業者には内緒だよと片目をつむった。 せめて現金で支払おう。ひょっとすると彼のへそくりになるかもしれないから。
 ルソーおじさんに見送られながらさらに南へと足を進めると先ほどのヴージョ村の次にヴォーヌロマネ村がひかえている。 ロマネコンティの畑に着いたら記念に葡萄を一粒失敬しよう(ナイショ)。 そしてニュイサンジョルジュ村を経て宿のあるボーヌへ。ここまでがコートドールの北半分、コート・ド・ニュイ地区。 この先ボーヌより南がコート・ド・ボーヌ地区。まだまだ見所は続く。翌日はピンクのスーツで現れたアンドレ君の運転で白ワインを求めてコート・ド・ボーヌだ。


伊勢市のカフェ・ランティエさん

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