カナダへの研修旅行の様子をおとどけします
平成13年度教職員派遣研修・短期派遣・三重県団・第242団
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10月31日(水) 研修14日目 ケベック市へ :晴 最高気温 4゚、最低気温 −4゜

今日が研修の最後の日となります。明日の朝早くモントリオールを発って、 約22時間後の明後日、11月2日の夕方に、名古屋空港に帰る予定です。 28日(日曜日)より夏時間から冬時間となり、日本との時差が14時間あります。

今日はカナダの古都ケベック市へでかけます。モントリオールからはバスで 3時間ほど、モントリオールの人から見れば、「東」にあります。(本当は北東)
この写真は、ケベック州議会議事堂です。まるでパリにいるような錯覚に陥ります。
JE ME SOUVIENS. ジュムスヴィヤン。ケベック市内で見かけるどの車にも、ナンバープレートにこのように書かれています。 イギリス資本がこのケベックも手中にした時に、ケベックを支配していたのは富を得たイギリス人 (住民はフランス人)であった。英本国の王様から「ケベックなんて何もない田舎だ」といわれ、 イギリス人が発した言葉が 「忘れないぞ! JE ME SOUVIENS.」でした。 そして、この議事堂もボザール様式ですが、イギリス人が作った物です。 勝利した英国本土に対抗するケベックの英国人の事を知り、ここに根付いていたフランス文化を ケベックの英国人は自分たちの物としていたのかな、少なくとも労働者であるフランス人対策だけとは 思えません。 戦いに敗れたフランスは、イギリスに、このケベックをとるか、ハイチをとるかと迫られ、 ハイチをとっている。ケベックのフランス人達はフランス本国に対して「私たちを見捨てたフランス」 との重いが少なからずあるようで、なかなか複雑な住民心理が見えてきました。

ちょっと途中下車
セント・ローレンス川を下るかたちでケベック市に向かう、その途中に、パルプ産業で栄えた町、 トロワ・リビエール(TROIS RIVIERES)があります。セント・ローレンス川はこの辺りでもっとも川幅が狭くなります。 この町の近くのケベックの三大巡礼地の一つである教会を訪ねました。


SANCTUAIRE NOTR DAME DE CAP, VILLE DE CAP DE LA MADELEINE


下を向いて目を閉じているマリア様の像が、ある日目を開けて前を見ていた。 すると、セント・ローレンス川が見る見る凍って水の橋ができた。 おかげで対岸の石を運ぶことができて、教会を解体してその石を使う必要はなくなり 教会は守られた。という1879年に起きた奇跡のマリア像です。
上のノートルダムのすぐ脇にある本当に小さな教会。 川の水は毎年凍りつきます。奇跡の年は、なかなか凍らず、困っていました。

さあ、ケベック市です


最後の夜はもちろん全員で会食。

モントリオールへ帰ってきて、地下街にある中華レストランにて
そして、ディジェスディフには、ピノーデシャラント


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